講座・同好会の紹介

現在、文化協会ではボランティアによる講師・リード―の基で、次のような分野で日夜活動をつづけています。

 

   1.歴史・考古学関連:古文書読む会、飛鳥学講座、萬葉書き方教室

   2.文芸・考古学関連:短歌を楽しむ会、俳句を楽しむ会、源氏物語を読む会

   3.芸術・美術関連:絵画・絵手紙の会、トールペイントばらの会、パッチワーク研究会、

                                押し花とプリザーブドフラワーを楽しむ会、折り紙を楽しむ会、わくわくニット同好会

   4.語学・声楽関連:英語講座、中国語同好会、詩吟の会、歌声サロン

   5.健康・IT関連:ITを楽しむ会、ゆっくり歩こう会、丹田呼吸健康法、料理を楽しむ会 

現在の各講座の活動状況や発表内容を、層富への投稿、文化祭発表などの記事から、関連部門ごとに紹介いたします。

 

過去のユニークな講座・同好会

星を見る会(比下 享)No2号

 今年になってにわかに賑やかになったのが、バレー彗星。星界の事象の中でも人類の歴史にとってもその周期ごとに、ひときわ関心を呼び続けてきたその彗星が帰って来る(回って来る)のですから。

記録によれば、その都度大騒ぎをしたようですが私達も、そのとおりのようです。マスコミ、カメラ、望遠鏡メーカー、旅行社 (国外でより長く見られる)や純粋な科学的立場に立つ、あらゆる機関を含めて、過大な期待は抜きにしても、大きな関心を持っていきたいと思います。

 宇宙は限りない興味を呼びおこしてくれます。普通目にするのは夜空の星々ですが、私達は、その星々の彼方に宇宙を見ることになります。最近の雑誌によれば、ボイジャー2号が来年1月、天王星に接近し観測する準備が始まったという。

ボイジャー号はこれまた有名な「惑星直列」のチャンスを利用して、惑星探査を行うため、1977年に打ち上げられ、木星、土星、の接近から、天王星(86.1)海王星(89.8)を通過するもの。

また、パイオニア10号(72.3打ち上げ)は、太陽系の外へ出て、ちょうど2年。あと6年ほどは電波を地球へ届けながら果てしなく飛び続けるという。

 最近も、銀河系の中心構造や、ブラックホールの存在が報道されました。星々の彼方の話題は尽きることはありません。私達の存在そのものと、たゆまぬ努力する人々の成果でしょう。

私達はこれらを大いなる関心事として、身近な、夜ごと目にする星々から、興味を深めていけば良いのではないでしょうか。最後に、パソコンで描いた図を紹介します。         

地酒を味わう会 (吉田 篤史)No2号

 「酒は百薬の長」とも亦「酒は気違い水」とも昔から云い伝えられ、酒を好まぬ人は、どちらがほんとうかと戸惑われることだろうが、酒には何の責もないことで飲む人に依ることですが、我が会の会員には、気違い水は一人もなく、月に一度の例会は誠に楽しく有意義に過し、発会以来3年目になりました。

 会長の一期も終り、3月の例会に弁士交代と云う所でしたが、会員からもう一期とのお声で、引続き会長の地位を保つことになり、感謝、いや感激、いや名誉なことと、いくらかでも会員の皆様に喜んで頂けるならと、一層よい会に育ててゆこうと思って居ります。

会の本質の通り、全国銘酒4千余の中から、必ず2、3本は新しい銘柄を昧って居り、会費も出来るだけ安くと、千円から最高3千円どまりでやって来ました。さて一年の経過です。

59年4月21日、5月12日、6月9日 :味杉で、朱雀公園・青天井にて、中村氏宅にて「さつき観賞」

7月14日 :宝山寺洗心閣一泊、暁天会を兼ねて。  8月4日 :朱雀公園 納涼を兼ね

9月8日 :中田氏宅 月見が雨にて。   10月13日 :味杉にて

11月10日 :浜口氏宅 観菊会。  12月8日 ちどりにて

60年1月12日 :昧杉にて新年宴会。  2月16日 :春鹿酒造見学後「酒肆春鹿」にて例会

3月9日 吉田会長宅にて

モットー:自分に、なまけるな! おこるな! いばるな! あせるな! くさるな! おごるな!

 右条々自戒白守

会員渡辺より:当会は58年4月発足以来、8月の盛夏を除き原則として毎月第2土曜日を例会日として今日まで休むことなく続けられている。今年の1月に吉田会長が留任され不肖私が副会長の重責を荷うことになったが、例会出席も芳ばしくなく内心恨屁たるものがあり甚だ申訳なく思っている。

 さて会員中田行彦氏の労作(その意味で感謝申上げる次第である)になる昭和58年度での愛飲酒一覧をみると飲んだ銘柄は「越乃寒梅」を皮切りに「湖の誉」までなんと30種である。少ない日で2銘柄、多いときは4銘柄もある。

59年度も同じ位の量を飲んだとすれば実に60余となり飲むも呑んだりの感を深くする。

 しかし、一升場の蓋をあけコップにつがれた酒の一口目は大いなる期待もあってか何とも云えない味わいがする、まさに地酒を味う感じである。

私は先ず甘口か辛口か、濃いか薄いか、自分に向きそうな酒か、或は一寸癖があるか等と一ロふくんだ時に私なりの判断をしている。専門書によれば「濃醇甘に、淡麗甘口、濃醇辛口、淡麗辛口」とあるが、私はどちらか云えば淡麗辛口が好きである。要は飲む者の嗜好に合った酒が良いということであろう。

 次に奈良県の地酒は「奈良県年鑑」によれば57銘柄ある。

今まで昧わったものは「春鹿」「出世男」「金扇千代」 「山の辺の道」である。酒蔵は春鹿を吉田会長のお世話で、金扇千代は網干会長自からのご案内で見学することができたのは何とも有難いことであった。

更に春鹿では会として樽買いをして、会で命銘し大いに飲もうとの話にまで発展したが、その実現を望むや切である。私は全国府県にわたる銘柄も良いが、地元地酒で残っている50余の酒を飲んで味わいたいと思っている次第である。

会員中田より:58年4月「地酒を味わう会」の発会式で幻の名酒と言われる「越乃寒梅」を飲んだ。なんだ、この水っぽい酒はというのが実感であった。そして約50銘柄を昧わった一年後、「越乃寒梅」を味わうことができた。なんと旨い酒か、癖がなく、すなおな味である。「うまい」という味が少しはわかりかけてきたのではないかと思った。

 「越乃寒梅」は、日本一の酒米「山田錦」を用い、いい水を使っている。それ以上にうまい酒を作るのに重要なのは、採算よりうまい酒を作ってやろうという作る人の気骨であると思う。

高く購人した酒米をくせのある匂いを無くす為に、糖の部分を削りに削り、半分以上も捨ててしまう。また品質が保証できる冬期にしか作らず少量生産を守っている。よほどの気骨がないとできない事である。

 ウイスキーは、全国銘柄が制覇しているし、ビールも世界ではいろいろな昧のビールがあるのに対し、日本では麒麟ビールの真似をした昧になってしまっている。

 「地酒」は、米と水と気骨により日本各地の風土で育ち、根付いた「文化」である。

 「地酒を昧わう会」は、日本文化である全国の地酒を味わえる楽しみとともに、本来飲んべである私は、本音としてどんな名目であろうと毎月酒を飲める楽しみがある。またなんと言っても、職業、年令が違っても酒を愛する個性豊かな人々と酒をくみかわす楽しみが一番である。

 日本酒は約4000銘柄ありこのぺースで行けば「地酒を昧わう会」を200年間続けないと昧わいきれないことになる。長く続けていきたいものである。

木目込人形・押絵同好会(伊藤喜美子) No10

 「今年は、伊藤さん、お願いしますよ」と言って渡された原稿用紙。 来ました! 恐れていたのが。

生まれつき文才なんていうものに全く無禄の私です。何時か廻って来るかも知れない『層富』の原稿』

これが来るまでに、教室の方は卒業させていただこうと思っていました。でも、引き受けてしまったのです。

 私にとって最も苫手な作文。このいやな作文を書いてでも此の教室と別れられないわけがあるのです。

木目込人形教室の雰囲気が、あまりにも良すぎるのです。全員が揃って楽しい人達ばかりの集まりなのです。

 先ず第一に、先生が素晴らしい方なのです。美人で、優しくて、気楽で、お友達の様な感じでお付合いをさせて戴いております。また、私達一人一人に公平に、濃やかな心配りをして下さるのには、頭が下ります。

 「わいわい、がやがや」遊んでいるのか、お稽古しているのか、解らないくらい賑やかな会ですが、それでいて、文化祭の頃には、結構素晴らしい作品が出来上り、自布の台の土にずらりと並ぶのが不思議です。これ偏に、谷口先生の優れた御指導の賜と感謝しています。次に、石森さん達若手の方達が、これまた素晴らしいのです。年令差の大きい私達20人ものメンバーを、上手にまとめて、みんな仲良く何時も笑い声が絶えません。

 今、木目込人形では、親王雛、祝太刀、姫人形、舞妓さん、アッちゃん、笹馬、無我等々。又、先生お得意の押絵では、汐汲み、禿、八重垣姫等の、大きな羽子板を教えて戴いて作っています。

 「苦労して作った人形は、絶対に手放せないわ」と言う人。「殆どお嫁入りさせてしまって、手許にないわ」

と言う人。それぞれですが、和気あいあい楽しみながら作ったお人形は、何處にいてもきっと優しく微笑んでいると思います。若しかして、笑い上戸かも知れません。今日もまたわいわいがやがや。

先牛も一緒にお喋りしたり、お茶と、お菓子を戴きながら、丈化祭にむけて次々と制作に励んでいます。

 「美味しいケーキ焼いて来たから食べて、石森ちゃんも、西本ちゃんも、菅ちゃんも、みんなみんな」

 「伊藤ちゃん、問いて聞いて、私の悩み」

 それそれ、また先生の皆一人一人に対しての気遣いの声が雑談の中で聞えて来ます。一度、私達同好会の教室を尋ねて下さいませんか。そして雰囲気がお気に召しましたら是非ご入会下さいませ。

筥作りの会(中野 昭二)No9

 筥作りの会の報告も2回目になりました。会員の皆さんもご年輩の方が多いので肩がこらないように、マイペースでやって下さいと言うのですが、ついつい夢中になってしまうようです。

今日までに皆さん多くの作品を作りましたが今年は「ヒナ人形と屏風」を作ろうとこととで、人形は木目込人形の管原先生に指導していただき、片方で屏風も作るという忙しいスケジュールでやっとヒナ祭りに間に合いました。

出来上がった作品を一堂に並べて鑑賞させていただきましたが大変立派なものでした。 

4月からは今までで一番むっかしい「多目的紙箪笥」に桃戦しました。「こんな難しいもんようつくらんわ」といいながら作り始めましたが、毎回悪戦苫斗の連続でした。

骨組が出来て和紙を張り始めて行くと、だんだん美しいダンスの姿が現われて来て、今までの苦労がわすれられて、今度は完成品の姿を想像して「この模様の和紙がいい、いやこちらの方が引立つね」と皆さんわいわい言いながらやっとの思いでし7月に皆さん作品が完成しました。

この作品は秋の文化祭出展しますのでじっくりと見ていただきたいと思っています。しかしこの間にも会の㈠番年長で豊かなアイデアのもち主であった渡部さんがお亡くなりになるという悲しい事もありました。

 しかし、これからも色々なアイデアをもちよって楽しい筥作りをやって行うと思づています。5月から3名の会員が増えました。生活に密着した「用の美」を何よりも一番と考えて作りつづけたいと思っています。 

〇〇〇歩く会「会の名称について」(松岡 禮一)No8

 会員の方々に決めていただく予定でしたが、色々の話があり、結局、仮称として使っていた『〇〇〇歩く会』を、正式の名称に決定致しました。ヘンテコリンな名称、まあ、滅多にないような会の名前ですが、我慢して下さい。しかし、これも、会の「すべて」を表しているのかもしれません。

【歩くこと】)が唯一の楽しみにしている人々の集まりです。と、皆々様に声をかけましたところ、大勢の方がご賛同下さって大部隊の集まりとなりきした。

 大体、7㎞の行程を基準として計画しております。幸い、現在まで天候にも恵まれ、いつもいつも多数の人々の参加を得まして喜んでおります。ワイワイ、ガヤガヤ、歩きながらのおしゃべりに、疲れも何も吹っ飛ばし、愉快な、満足した顔、顔、顔がそこに列んでいます。

それは、参加して下さっている方々の暖かな《心》が、そのようにさせて下さっているものと、思っています。老若男女、ストレスの解消に一番よい運動ではないか、と思っております。どうか、時間の都合のつく方はどしどし参加して下さい。

 ただ、お子達の参加が少ないのが一寸淋しい感じがいたします。ご家族ご一緒で参加して下さい。

 大体の予定は、次の通りです。

  ○ 奇数の月は第3金曜日    ○ 偶数の月は第4日曜日

と言うことになっていますが、寒い時期と、暑い時期とはお休みにするつもりです。

 奇数の月と偶数の月とは、同じ所へ行く予定です。従って、どちらか都合の良い日を選んで下さい。勿論、両方に参加して下さったら尚更結構です。

C 現在までの行動

第一回 畝傍・今井町 方面:2年9月21日(金曜)、10月21日(日曜)

第二回 香具山・耳成山 方面:3年1月18日(金曜)、3月24日(日曜)

 何分何も知らない、そして勝手のわからない窓口だけの松岡ですので、左記のことよろしくお願い申しあげます。少しでも様子のご存じの方は、又は(ここも穴場)と言う所をご存じの方はどうかご教示下さるようお願い申します。 会の為にも、会員の方々の為にも、いろいろご連絡願います。

野草をしらべる会(前川 良雄)No6

-人間と植物についてI

 生物は植物の光合成によって作られたでんぶんと酸素によって生きていくことができる。人間が地球に生れて以来、植物を衣食住に利用して生きていますが、だんだんと植物のめぐみを忘れ、大切にしなくなり、やたらと木を切り倒して自然を破壊しています。もっと自然を大事にすべきだと思います。

それで、これから植物と人間がどのようにかかわり合ってきたか、いろんな面より考えてみたいと思います。

 先ず食物としての植物は、米麦粟ひえ等に豆類、野菜、果物、海草等があります。また薬になるものとして、ゲンノショウコ、ドクダミ、キキョウ、ユキノシタ、ジョチュウギク等があり、紙や衣類になるものは、アサ、ワタ、アマ、ムギ、コウゾ、ミツマタ等があります。

このようにどれ一つとっても、我々の生活に切りはなすことはできません。その中で、野草と人間のかかわりをしらべてみます。

まず春の七草は、セリ、ナズナ、オギョウ (((コグサ)、(コペラ、ホトケノザ(タビラコ)、スズナ(カブ)、スズシロ(ダイコン)、これぞ春の七草と歌にうたわれています。秋の七草は(ギ、キキョウ、クズ、オミナヘシ、フジバカマ、ナデシコ、ススキです。これ等は食べ物としてまた季節を代表する野草として知られています。

また植物の名を使った昔よりのことわざがあります。うりふたつ、どんぐりのせいくらべ、青菜に塩、さんしょは小粒でもピリッとからい、木に竹をつぐ、まかぬ種は生えぬ、いもを洗う、花より団子、やぶから棒、たで食う虫もすきずき等々、また昔からの年間行事に使われるものとして、正月には松、竹、梅をかざり、餅にはダイダイとウラジロをそなえる。

七草がゆを食べ、節分に豆まき、ことしから「緑の日」が作られました。しょうぶ湯、お盆のキュウリとナス、月見のススキ、冬至のカボチャ、このように人間生活と植物は深いかかわりがあります。野草を使っていろいろ工夫して遊ぶことがあります。

 スズメノテッポウの笛、オヒシバ、オオバコによるすもうとり草、シロツメクサをつないだ首飾り、ホオズキの笛、ナズナによるベンペン草、マツノ葉のスモウ、ムギワラによる篭、エノコロ草の毛虫、スギナやヤエムグラのつないだところの見つけあい、ススキによるとばしあい、マツカサあそびといろんな遊びがあります。

また野草にはいろんな動物の名がつけられています。ママコノシリヌグイ、イヌノフグリ、ヌスビト(ギ、サルトリイバラ、イヌガラシ、イヌタデ、イヌビエ、スズメノエンドウ、スズメノカタビラ、スズメノヤリ、カラスウリ、カラスノエンドウ等々、こうして書いていきますと、人間と植物は昔より深い深い関係にあり、またいろんな行事に利用されてきました。このような自然を大事に、大事にして育てていくことが緑の日が作られ、花の萬博の開かれる次第だと思います。 

拓本のすすめ(渡辺 亮斗)No4

 登山家に「何故あんな重い荷物を背負って汗を流しながら山に登るのか」 と聞くと答えて曰く「山がそこにあるからだ」 と。勿論これでは答にならない。真意は苦労して登頂した暁に眼下に展開する光景を眺めながらの壮快感、登頂し得た喜び満足感ないしは征服感にあると想像する。

 それでは拓本の方はどうか。蕎張ったリュックを背負ってテクテク歩き拓本を採るのは何故かと云うことになるが、拓本の対象物があるからでは答にならない。拓本には拓本なりに自分で採拓しなければ判らない面白昧というか、魅力があるからだ。

 拓本の対象物、かりに万葉歌碑としよう、碑面に白い画仙紙を水張りし、ピタッと貼ってIこれが上手出来れば第一関門はパスである。良い加減に乾いたところで (この乾き具合の見極めは経験して会得するしかない)拓墨を打ち始める。

左手の親タンポで拓墨をつけたものに、右手の子タンポを摺りつけて墨を移つし、軽くポンポンとリズミカルに紙面を叩く。碑面の平な部分は黒く染められ同時に凹んだ文字の部分すなわち万葉の歌が白く浮き上って来る。

碑面に彫りこまれた文字が磨粍していない限り白と黒の堺目は鋭い一線が画されている。やがて打ち終ったところで碑面から数歩離れて透かしつ眺めて、良しとなればこれを剥がす。拓本の醍醐味は凹部の歌の文字が真黒の中に真白に浮き出て来る一瞬一瞬にある。

その間は息を止め大袈裟に云えば全身全霊をこめて精神を右手に集中し無我の境地、無心にタンポを打ち続けるわけである。碑面から剥がした拓本を新聞紙上に拡げたところで息つく。

作品の出来栄えが良ければ惚々と暫し見直し大いなる満足感に浸る。そして一服の煙草を燻ゆらせながら芸術的鑑賞を満喫するわけである。

若し仮りに(?)採拓に失敗した場合、むしろこの方が屡々であるが、茫然自失、次第に無性に腹が立って来る。修正などは思いもよらず再度の挑戦か諦めるしかない。かくして再び7つ道具を背負って帰途に着く仕儀と相成る。

 拓本の実利的効用と云えば、対象物を求めて歩くレクリエーションであり健康に良いということ、或は対象物が万葉歌碑であれば拓本を通じて万葉の世界に没入することができる。

然しながらそれはあくまで拓本の付随的効果であって、拓本そのものは一個の芸術的鑑賞に足る作品の完成を追い続けることであると聊か、大上段に振りかざしての手前味噌を並べ 「拓本のすすめ」とした次第である。

人生を語る会(牧野 自然)No2

 私の担当している俳句会の方は、少しずつでも出席者が殖えてきているのに、この会の方はどうも殖えないので、平城院の行事「若い人達と宗教を語る会」の2時間後に平城院で開くことにしたが、あまり変化がないし、出席して下さった方も「若い人達と宗教を語る会」との活のつながりがはっきりしなくて、かえって混乱を来しているようなので、残念ながらこの会の方は当分休会にして「宗教を語る会」に吸収させていただくことにした。若い方の希望があれば再開をしたい。

 「若い人達と宗教を語る会」はもとより無料で、「若い人達」といっても「心の若い人達」なら淮でもよく、結構年配の方も出席されているので、会員の方々もご遠慮なくご出席をお待ちしている。「若い人達と宗教を語る会」は毎月第2日曜1時から平城院で開いており、変更のあった時も行事案内を奈良版の各新聞に載せていただいているので、ご覧いただきたい。