文芸・文学関連 講座・同好会の紹介

ここでは「短歌を楽しむ会」 「俳句を楽しむ会」 「川柳講座」 「源氏物語を読む会」の会員情報や作品紹介をいたします。尚、川柳講座は都合により2018年5月に閉講いたしました。

     短歌を楽しむ会  辻本 典子(層富No38号より) 

 一昨年の暮れより世界中に猛威を振るっているコロナウィルスの勢いが今年になっても一向に衰えず、人が集まるのも憚られると言う事で、会もなかなか開かれませんでしたが、今年の四月に久しぶりに歌会が有るとの事で楽しみにしていました。しかし、奈良県の感染者数が日を追う毎に増えてこの先どうなることかと案じています。

 そんな訳で、昨年私の詠んだ歌もコロナに関する歌が多く、今読み返しても歌とは呼べない様な物ばかりでした。

 短歌は、季節の移ろいを目や耳や身体で受け止め、その時々の心の有り様や感じた事どもを三十一文字で表現するのですが、それが出来なかったこの一年余りでした。

 何とか世の中が落ち着き、心のゆとりを取り戻し、歌を作りたいと思っています。

 月に一度の歌会では、櫟原先生の暖かい御講評を聞かせて頂く事や、会員の皆様の作られたそれぞれ二首の歌を聞かせて頂く事が、大きな楽しみでしたので、コロナに怯えることなくいつも通りの歌会が開かれる事を願っています。

     短歌を楽しむ会  鵜川 迪子(層富No37号より) 

 新聞の広告欄に(「こつこつ短歌」にチャレンジしよう)というのを見つけて、これはすぐに手を抜く私への言葉かと思い、驚いてよく読むと、それぞれが日頃こつこつとチャレンジしていることを短歌で表現しようというコンクールの募集でした。

 万葉時代から受け継がれてきたこの三十一文字は、現代もなお文学の一つとして、こんなに一般に親しまれているのだと深く感じました。 そういえば百人一首なる歌留多は、平仮名が読めるようになった幼児が大人に混じって一人前に楽しむお正月の行事だったことを思い出しました。

 『短歌を楽しむ会』は短歌に親しんでいる人が月に一度集ってみんなで楽しみ合う会です。毎月、第二火曜の午後一時半から始まります。会員は当日までに当番の人に二首を提出し、当番はそれをプリントして当日に配り、会の司会をします。 講師は、『短歌 ヤママユ 』の編集をなさっていらっしゃる櫟原聰先生。提出歌についての会員の感想、批評、作者の説明が終わったあと、一首ずつていねいにご批評、ご指導をしてくださいます。

 私は、職を辞してからふと町中で出会った友達に誘われて、難しいのではないかと不安を抱きながら短歌を始めてみました。おそるおそるだったのですが、どうにか今も続いています。そして、新聞、テレビなどでも短歌を楽しんでいる方の多いことに気づき、いろいろ教えられます。

 なんだか短歌を始める前より、身の周りの自然の変化、ニュースに見る世の中の変化、

また、自分の動作、心境など、それぞれの微妙な動きにふと心が留まるようになった気がします。興味を抱かれた方、ぜひ一度のぞきにいらして下さい。 

     短歌を楽しむ会  近藤 好廣(層富No36号より)

  本年五月一日からの新年号が「令和」と発表されました。この元号は「万葉集」を典範との事で短歌を学んでいる私共にとってはこの上もない喜びです。

日本人にとって、千二百年も前から引継いできた五七五七七のリズムが愛と希望を与えて今日に至っています。 

 短歌を「難しい」「ハードルが高い」と言うイメージを持つ人もありますが、身近に楽しめる文芸です。

 子供の頃に百人一首で自分の好きな歌を「おはこ」として覚え、楽しんだ方も多く、万葉集や百人一首、近代短歌を中学・高校で学んだ事でしょう。よく知られている歌を列記してみます。

 春過ぎて夏来(きた)るらし白妙の衣乾(ころもほ)したり天(あめ)の香具山   持統天皇

 青丹(あおに)よし奈良の都は咲く花の薫(にほ)ふがごとく今盛りなり     小野(おのの) 老(おゆ) 

 銀(しろがね)も金(こかね)も玉も何(なに)せむに優(まさ)れる宝子に及(し)かめやも   山上 憶良

 梅の短歌では、私は次の一首を披露したい。

 吾妹子(せこ)が植ゑし梅の木見るごとに心むせつつ涙し流る      大伴 旅人 

 歌意は太宰府に発つ前、妻と植えた梅の木を今は自分がひとりで見ると、留守中に死んだ妻が恋しくなって涙が流れるという。

 学校で学んだ近代歌人として正岡子規・与謝野晶子・斉藤茂吉・石川啄木・若山牧水・北原白秋などの歌人をすぐに思い浮かべることができます。また、現在活躍中の人としては、馬場あき子・永田和宏・佐々木幸綱・岡井 隆・岡野弘彦・俵 万智など記憶に新しく、雑誌、新聞、歌会等でその名を存じている方も多いと思います。わけても若い人に新風を吹き込んだのは次の歌が一世を風靡して、短歌が若い人に身近になり、最近ではネット短歌が広がっているようです。

「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日

 新聞テレビのニュースでは万葉集が飛ぶように売れ、短歌に興味を抱く人が増えたそうです。

 私たちの会では、奈良の歌人 櫟原 聰先生を講師として学んでいます。私たちのこの会にも足を運んでみられませんか。お待ちしています。

俳句を楽しむ会 石野 巌(層富No38号より)

 「俳句を楽しむ会」は、毎月第四水曜日午後一時三十分から北部会館にて行っています。小谷廣子先生のご指導のもと、俳句づくりを楽しんでいます。

 毎回一人三句を作句して全員の句を一枚に清書し、五句を選句します。そしてみんなで選句の思いや季語について話し合います。その後、小谷先生から全部の句についての評価があります。先生はいつも洞察力を駆使して、作者の「思い」や「季語」の使い方が正しく詠まれているのか評価やアドバイスをくださいます。

入会してまだ日の浅い私にとって、なかなか思うように句がつくれず悪戦苦闘、先輩方の励ましとご指導で何とか続けることができています。

 四季の移り変わり、自然の美しさ、人の心の奥深さや命の尊さ、生への喜び、愛おしさ、はかなさなどを十七音で表現する。五七五のリズムに季語を入れる。詩的な表現をすることは素晴らしいことです。

私は今まで俳句とは無縁でした。高度成長期に企業戦士として働く会社人間でした。「俳句を楽しむ会」に入会し、俳句を作るようになって何か心が豊かになったように思えます。

 この頃はドライヴに行ったりすると、ついつい花の名前を調べたり、木の名前を調べたりと、今までと違った楽しみ方をしています。また俳句に興味のある方は、どうぞ「俳句を楽しむ会」を覗いてみてください。

俳句を楽しむ会 杉田 敏江(層富No37号より)

 私にとって、俳句は長い間遠い存在でした。それが変わったきっかけは、十年程前に学生時代の友人から届いた「里山に春の匂を貰ひけり」という、筆で書かれた一枚の短冊でした。

 友人達と山里を旅した時のことを詠んだ句でしたが、「春の匂を貰ふ」の表現が、俳句へのあこがれの様なものを私の心に植え付けました。 その後しばらくは介護に忙しい日々が続き、俳句のことは頭から離れていましたが、母一人だけの介護になり、時間と気持に少しゆとりが持てるようになると、俳句を作ってみようとの思いが出てきました。

 それで入門書を買って読んでみましたら、「初心者は、まず自分の思ったこと、感じたことを難しいことばでなく、自分のことばで詠むこと」と書かれてあり、句作りを難しいものと思い込んでいた私でも、何とかできそうだと安堵したのを覚えています。 そして今、小谷廣子先生の「俳句を楽しむ会」に参加させていただき四年近くになりますが、よき仲間とともに楽しく俳句作りをしています。

 毎月の句会には、各自で作った三句を持ち寄り、俳句の基本の決まりや季語の意味、切字などの基本を学んでいますが、特に先生の教え「俳句は一読して句意が分かり、景が鮮明に見えてくること」「自分の思いを豊かに伝えられるような“季語”を選び用いること」に、大切なことを学ばさせていただきました。

 これからも先生の教えを念頭に、日々の生活の中でのささやかな感動、自然のうつろいに目を留めたことなどを、自分の言葉で表現できるよう努力していきたいと思っています。そして、いつの日か私の一句を短冊にして友へ贈れるようになりたいと願っています。

俳句を楽しむ会 松本義實(層富No36号より)

 俳句を始めて六年、「俳句を楽しむ会」にお世話になって早くも丸三年が過ぎました。

 そして、最近になり、やっと季語と言うものの大切さを識るようになりました。

 季節を、自然を端的に表現し、俳句の大半を左右する季語の存在こそ、俳句と言う短詩の骨格であるように思います。

 日本の春は、日々に増す暖かさを感じる季節であり、その温かさを運んで来るのが春の風である。梅がほころび、菜の花が咲き乱れ、桜が散り尽せば惜しまれながら春は終り、緑一色の若葉が野山を覆う。山の峰のように沸き立つ積雲、雲の峰が立ち、炎暑が過ぎれば引き波に小石ころがる夏の果(はて)である。

 夏から秋への季節の移り行き、人の世、人の心の移り行きを意識させる秋風が吹く。天高く空澄み渡り、やがて紅葉も散り果てる頃、これも人の世のあわれをしみじみと感じさせる秋の暮となる。

 初冬には木々の葉を吹き散らす木枯しが来る。年の暮、新年を挟んで厳寒の夜に雪が舞う。人は日向ぼっこをしながら再びの春を待つことになる。

 四季の自然を表現する代表的な季語を簡単に並べてみましたが、季語が持つ本来の意味を生かし、しかもわずか十七文字を句にすることの難しさをつくづく感じているこの頃です。

 「俳句を楽しむ会」の講師・小谷廣子先生は、常々「句の情景が眼に浮かび、詠む人の心を動かすものがある、それが俳句である」と指導されていますが、確かにそうあってこそ季語の持つ本来の力が生きて来るのだと思います。

 このことをいつも念頭に置き、「俳句を楽しむ会」の仲間と共に、日々を楽しみながら作句を心掛けて参りたいと思います。

     源氏物語を読む会 藤澤 陽子(層富No38号より)

 「源氏物語を読む会」は平成十八年(二〇〇六年)六月三〇日、浅田知里先生を講師として開講いたしました。いづれの御時おほんときにか女御にょうご更衣こういあまたさぶらひ給ひけるなかにいとやむごとなき際きわにはあらぬがすぐれて時めき給ふありけり‥で始まりました。先生から資料を頂き貴重な御講義を受けて平安貴族の生活の一端を味わう二週間に一度の時間です。

雲林院へ行ってきました。第一〇帖『賢木さかき』に「秋の野も見たまひがてら雲林院にまうで給へり」とあります。中宮(藤壺)を恋しく思いながらの参籠です。

当時この辺りはまだ広大な荒野で紫野と呼ばれていました。紫式部の出生地ともいわれています。現在は大徳寺の塔頭として小さな観音堂を残すのみ。乙女椿が(?)が色を添えておりました。

染師 故吉岡幸雄「日本の色」展が京都細見美術館でありました。襲かさねの微妙な色合、派手でな

く地味でもなく、絹地を引き立たせる色合い、ウットリ雅の一刻でした。

襲の色目として衣装・懐紙・料紙・几帳・御簾みすなどに見られ、一領の衣の𧘱ふきにわずかにのぞく表と裏の色の対比、薄絹を重ね季節ごとに咲き競う花の彩りや木の葉の色あいなどになぞらえて楽しんだもの。『源氏物語』に脈々と流れる色は紫と言える」と吉岡氏は言い切っておられます。

 宇治の源氏物語ミュージアムにも映像や模型・牛車や装束などの展示物が見られます。先日は宇治川の清流より羽化したトビケラが大発生して宇治橋を中心に飛んできておりました。

通圓つうゑんのお薄と茶団子で締めとしました。

 京都アスニー京都平安京創生館にも暮らしと文化、平安京復元模型、源氏物語車争図屏風(複製)などが見られます。

二千円札をお持ちでしょうか。裏面に引目・鉤鼻の紫式部が描かれております。

「源氏物語」は五十四帖あります。登場人物も四三〇余人とか。パソコンもない当時如何にしてこんな大作を物したか、スタッフ、ブレーンがいたのかなあと思ってしまいます。とにかく面白いです。原文で読みすすめていくと味わいが一味違います。只今はコロナ禍と先生のご事情もあり休講中ですが、再開の折は是非ご参加下さい。

        源氏物語を読む会 奥野 光子(層富No37号より)

 数多くの古典文学がある中で最高傑作と謳われる源氏物語は、私にとって長年無視できない作品でした。ヨガの教室で偶然にも浅田先生と知り合い、「源氏物語を読む会」の存在を知ったのがきっかけです。好奇心から恐る恐る出席してみると、既に九帖まで読みすすめられていて、十帖「賢木」からの途中参加となりました。

 それから一年が経ち、この講座のゆったりと流れる時間は私の大きな楽しみの一つになっています。誰の文章だったのか、いつどこで読んだのかも全く思い出せないのですが、こんな内容が記憶にあります。時代は戦時中、それも戦局がどんどん悪化し、物資も人の心も追い詰められていたころのことです。

 暗い気持ちで道を歩いていたその人はふと、少し崩れかけた家の門柱に「共に源氏物語を読みませう」と書かれた板を見つけます。それはよっぽど気をつけないと見落としてしまいそうなものだったようですが、その瞬間腕をつかまれ引っ張られるように中に入って行ったそうです。そして受けた源氏物語の講義はその人を次元の違う世界へと誘います。

 目の前の暗い現実の中で、生きる希望すらも失いかけていた時に出会った源氏物語は、その人の心を解き放ち、まさに宝物を見つけた経験だったと書かれていたように記憶します。今、世界中はコロナウイルスの流行によって、どんどん暗く閉ざされていっています。それ以外のニュースはないかのようにコロナウイルスの情報で充ち溢れ、私たち自身もじわじわとその恐怖にとらわれていく。

 戦争とは全く異なるものですが、今のこの状態にはどこか戦時中を想起させるものがあるような気がするのです。感染予防のため、残念なことにみんなで集まって先生の講義を聞くことはできなくなりました。でも今まで習った巻を読み直してみたり、たどたどしく先を読んでみたり、大切な宝物を持ち続けることはできそうな気がします。

源氏物語を読む会 小村 重子(層富No36号より)

 二年前、北部会館を通りかかると「源氏物語を読む会」の文字が目にとまり、興味津々で扉を開け参加しました。

 講座は、原文の古文、平安時代の貴族社会の背景に思いを馳せ、プリントを皆で声を出して読み、先生に丁寧な解説を頂きそして質問、それ等を反復しながら進みます。古文なのでより、王朝の雅が伝わってくるよう感じられます。

先日の講座「藤壺、東宮を訪う」の「御歯の少し朽ちて、口の内黒みて、笑み賜へるかをり美しきは、女にて見奉らまほし清らなり」から、鉄漿(かね)の起源、原料、男性、女性の化粧法、等々の話に花が咲き、和気藹々と時が過ぎてしまいました。この後みやびやかな物語の展開が楽しみです。

 以前、「木版本源氏物語絵巻」の講演で王朝絵巻の「詞書」を見ました。

剥落した画面、見事に表現された金、銀の箔や芒、砂子を散りばめた文様に流麗な仮名が書かれ、木版画とは思えない素晴らしさに、心を奪われたことを思い出します。

 年齢を重ねてくると、古典の味わいが以前より理解でき、歴史に想いを巡らしながら楽しみたいと考えております。

小鳥のさえずり万朶の桜が咲き誇る春の息吹に触れると、瞬く間に、青葉若葉の季。美しい季節に「令和」が始まり、奈良がクローズアップされている世相、嬉しい限りです。ぜひ一度講座見学にお越し下さい。 

                      俳句を楽しむ会 東中 渡(層富No35号より)

 「俳句を楽しむ会」への想いを、徒然なるままにペンに委ねてみました。

まず、「俳句を楽しむ会」指導者の小谷廣子先生ですが、俳句暦は長く、現在は同人誌「雉」他、多方面で活躍されています。先生はいつも、洞察力を駆使して、季語をフルに活かすという俳句の基本を、口を酸っぱくして諭されています。そして、そんな小谷先生の下での私の処女作が、「秋の空腹一杯に浴びるかな」でした。

 この句を5年前の9月、体験句会でぶっつけ本番で詠み、なんとなく先生やメンバーに認められたのが、私が俳句の道に身を寄せた所以でしょうか。それから、5年の研鑽を経て詠んだ自信作が、「玉虫の羽音立てつつ残照へ」です。

 また、この4月には、郡山城跡へ吟行に出かけました。絶好の桜日和の下で、満開の桜を愛でながら、楽しいひと時を満喫しました。その時の一句が、「桜愛で皆で和む句会かな」です。

 私は、俳句を嗜むことで大きな財産を得ました。事物、事象に対する観察力が膨らみ、季節の移ろいに花や虫など、自然の動きへの興味が増していきました。以前は疎かった生活の行事や風習などが、毎日の生活の中へどんどん入り込んできました。

 最後に、私の俳句を作るにあたっての基本姿勢ですが、一つは、両手を動かして、もごもごと口で唱えること、もう一つは、季語を始め語彙の領域を広げるべく、日々研鑽を積むことです。そして、私の夢は、駄作の中にも、いつかいつかクリーンヒットを放ち、塁上の走者を一掃させることです。幾多の困難にもめげず、これからも季節を追いかけ、自然と戯れながら、一句一句詠んでいく所存です。

 皆さま、一度、五七五に夢を託してみてください。人生が、より一層楽しくなること請け合いです。

短歌を楽しむ会  澤井 泰子(層富No35号より)

 チョットしたご縁で短歌を作ることに。知人からのお誘いで「楽しいのよ。」と。

 それは、カルチャーセンターでお話を聴くというそれだけの講座のはずでした。

 講師は、「今期は、新人三人が入られました。」そして、三人を紹介し、御自分の短歌で気にいったもの、好きだなぁと思うものを一首と。お二人はそれぞれにおこたえに。

 講師は、うなずきながら、にっこり。さて、私は作品をなに一つ読んでいないし、又短歌の世界で高名な方とも知らず、困ってしまった。仕方がないので正直に「何も存じあげないのです。」と。講師の方はびっくりされたようすで、「それはしょうがないですね。まあ白紙もいいでしょう。」とおっしゃった。他に言葉はなかったのでしょう。次回に、二首作って提出とのこと。

 指を折りつつ三十一文字。これがうまくいかない。あたりまえのことである。三ヶ月ぐらいすぎて、きっと見かねられたのでしょう。ある方が私に、「短歌ってとぶのよ。線上を二つ三つ跳ぶ。線上を跳んで、結句の七文字がうまくいけば着地成功ね。」『線上を跳ぶ。』その言葉が忘れられなくて今まで続いてきたのだと思う。

 水面をすれすれに石がパッパッととんでゆく水切り。八才の夏に、祖父からおそわった水切り。水切りにむく石えらび。そして、投げ方。水面をすべるようにとんでゆく様がうれしかった。短歌もパッパッと水面をとぶ石、五七五七七につながるのではと。これは私の感じ方だけれど。人はおもい思いのこころにふれたこと、景色、それを三十一文字に。今の私は、短歌は言葉えらびの楽しみであり、積木であり、抽き出しの角をまさぐっている時なのかも。遠い日の祖父との時間をおもい、作ったものです。着地成功したかしら・・・

「曲がりつつ流れる川は美しい祖父のことばをききしあのころ」